お神楽の意味するものは何?

Oroti1 夏祭りの季節である。
我が家の近所の春日神社でも例年のように、お神楽と神輿巡行があった。
お神楽の演目は、神話の「須佐之男命のおろち退治」

 頭が八つある八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)が、毎年、里にやって来て、娘を一人づつ食べるという。次は櫛名田比売(クシナダヒメ)の番である。
 それを聞いた須佐之男命(スサノオノミコト)が、大蛇に、強い酒を飲ませ、酔って眠ったところを切りつけ、退治する。
切り刻んだ大蛇の体内からは、天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)というりっぱな剣が出てきた。須佐之男命は、その剣と櫛名田比売を手に入れ、めでたしめでたし、という内容だ。

Oroti2私は、子供の頃から毎年このお神楽を見続けてきた。特に小学生の時は、近所の子供達と一緒に、神楽殿の欄干に手をかけて、かぶりつきで見たものだ。

 当時は、ヒーローによる単純な悪者退治としか思わず、仕掛け花火の火を吹くおろちは、ただ怖い存在でしかなかった。
 ところが、最近お神楽を見るたびに、どうも神話の裏に別の意味が隠されているように思えてならない。
 今に伝わる歴史が、常に征服者による一方的なものであること。ましてや遠い神話時代の説話である。頭が八つある大蛇など、現実ではありえない話だ。

 この神楽の発生の地は出雲辺りらしい。出雲地方は、現在でも良質の鉄の材料・玉鋼(タマハガネ)の生産地である。
 そのことから、やや強引な空想が浮かんだ。
 古代、青銅器が主流の時代に、出雲地方に製鉄技術を持つ一族が居た。鉄製品は青銅器より堅くて強い。須佐之男命は、その一族の技術を奪う為に、戦をしかけたのではないのだろうか。

 八俣の大蛇というのは、炉が八つ有ったのか。それとも、製鉄の過程で溶けた鉄を流す溝が八つあったのではないか。
 以前、私の住む町の製鉄所を見学に行った時、溶鉱炉から真っ赤に溶けた鉄を30m程の溝に流しているのを見た。その時、私は、ああ、これが古代人の見たおろちではないのだろうかと思った。
 これを夜に見ようものなら、とてつもなく怖い火を吹く大蛇のように思えるに違いない。

わざわざ八俣というからには、古代の製鉄法では、鉄を冷やす過程で、溝の先が八つに分かれていたのかもしれない。

 お神楽は、須佐之男命がおろちを退治し、天叢雲の剣を手に入れ、喜びの舞を踊る場面で終わる。それは優秀な鉄器文明を略奪した征服者の祝宴ではなかったのか。

 勝者が正当化され、敗者は、いつも悪者として歴史では語られるけれど、実は、逆で、創造する力や技術を持ち、幸せな生活を送っていた地方部族のもとに、権力が欲しい者がやって来て、武力で占領してしまったのではないだろうか。

こんなことを想像しながら、お神楽を見ると、想いが古代にまでさかのぼり、興味が尽きない。でも、そもそも製鉄の歴史や古代史に精通しているわけではないので、何か根本的なところで間違っているのかもしれないし、諸説があるんだろうなとも思う。あくまでも私見。

Omikosi 神輿巡行は、午後の二時に神社を出発して、市内を廻り、夜の十一時頃、再び神社に戻ってくる。
提灯持ちやチキリン隊なども含め、総勢三百人程の列が続く。

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春日神社のお神楽

近所の春日神社で夏祭りがありました。
2日間にわたって、恒例のお神楽が奉納されたので、観に行ってきました。両日とも午後3時くらいから始まり、夜の10時くらいまで、お神楽が舞われます。
長時間なので、全部を通して見たことはありませんが、佳境の大蛇退治の場面だけは見逃さないように、神社に出かけます。
スサノオノミコトと大蛇(おろち)との戦いの場面をたくさん写真に撮りました。。

8月に県立図書館で開催される「神楽で楽しむ古事記の世界」という講演会への参加予約をしているので、今年のお神楽はいつになく真剣に見てしまいます。
講演会で何が語られるのか今からとても楽しみです。

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生命の原点

  満開の桜が街を彩り、様々な花々もいっせいに咲きそろう華やかな季節になりました。自転車を走らせながらも、道端の草花を目で追う私です。
  そんな春の盛りの今日は、トキハで開催されている『諸流いけばな展』を観に行きました。
11 友人の竹中圭華さんの作品が素敵です。
21  透明なカプセルの薄く張った水に水草が浮かび、その間から雲龍柳の枝が伸びています。よく見ると、その柳には小さな葉芽がついています。 
  カプセルの下側だけを花器としているのではなく、蓋を添えていることに作者の想いがあるように思います。
 まず、水が入った閉じた球体のカプセルがあり、それに水草が生え、その間から枝が伸びて、カプセルの蓋が開く。やがて、その枝は幼い葉をつける。そして、花も咲く。
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  こんもりと花びらのついた紫陽花が、生命力と豊かさへの感謝の象徴のような気がします。それも決して派手なものではなく、花として生まれたばかりの、いまだ薄い緑が残り、少しだけピンクに色づきはじめた花を選んでいる。この花の色の淡さがとても爽やか。作家によって厳選された一輪の花。

  閉じた水の丸いカプセルの蓋が開き、中から新しい生命が生まれ、自由な方向に伸び、やがて花を咲かせる。そのながく壮大な営みを感じます。

  植物を一つの象徴として、あらゆるすべての生命が水の中から生まれたことを改めて思わせてくれる作品です。そして、水の丸いカプセルが地球そのものを表現しているようにも思います。

最初の作業。球体の透明なカプセルに水を張った時点で見えるもの。その繊細さをまず思います。透明な丸い水。それは、一見何も無いようで確かに在るものです。そこからうまれる生命。発想の原点は、無いように見えるものの中に在るものの本質を表現しているような気がします。

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錆のように

時間が埋まっている。その腐蝕する風情が好き。

Il_me2

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無音の炎

寝ねがたく身体ほてりて追憶のゆらめく青き無音の炎

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鳥の声する

暁に目覚めしわれの鼓動かな静寂やぶり鳥の声する

Torinosumika

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黙劇

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もの言わず過ぎて重さを思い知る黙劇の身の凍てしことども

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時代閉塞に届く

2015716小学校時代の同級生から思いがけず、布製の手作りの巾着とブックカバーが届きました。
とても丁寧に縫ってくれています。私に送ろうと思ってくれた彼女の温かさ、優しさに胸打たれます。
 

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虚実皮膜の間

154111 諸流いけばな展が14日まで大分市のトキハデパートで開催されています。

今年も様々な流派の数多くの意欲的な作品が展示されていました。

154112なかでも竹中圭華さんの作品は、とても印象に残りました。いつも彼女の作品は注目して見ていますが、静謐さと同時に、揺るがない強さを感じます。それは表現したいことがはっきりしているという意志の確かさと言えるものです。

植物のモンステラの葉が、試験管から得られる水を吸って生きづいている。その実像。その右下には、ステンレスパイプで縁取られたれた葉影の空(くう)または虚。それらが額縁のフレームの中に表現された作品。虚実がそのうえ額縁の中にあるという虚実の二重構造。壁が内と外で仕切られる不思議さ。例えようが変だけれど空気の缶詰に似た面白さ。

このいけばな展を見た後のことですが、家に帰った私は、自宅で何気なく高校の古文の教科書の参考書を読んでいました。そのなかに1738年に刊行された浄瑠璃注訳書『難波土産』に、近松門左衛門の語った言葉が出ていました。

「被膜の間といふがここあり、虚にして虚にあらず、実にして実にあらず」と。その現代語訳では「芸は、被膜の間(真実と虚偽との微妙な境目)にある」と書いてありました。

この文章を読みながら、竹中さんの作品が頭に浮かびました。劇作家としての近松が語った言葉の意味とは少し違うかもしれないけれど、それでも私には、なにか近いものがあるように感じたのです。

竹中さんの作品は、実と虚の被膜のように薄い間を追求していること、そしてその繊細な一点こそ、物の真の姿を探求することに他ならないこと。生物の生死までをも含んでいるものだと。哲学まで感じさせるいけばなって凄い。いつか竹中さんの世界で充たされた個展を見てみたいなとも思いました。

(いけばな展は、前後期にわかれ、竹中さんの作品の展示は前期の11日までです)

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オルフェ

Zizi1手をかざし鏡の奥に入りゆきて師と邂逅すオルフェにも似て

ジャン・コクトーの映画「オルフェ」の印象的な場面に、鏡に手をかざすと指がそのなかに入ってゆき、そのまま体が全部入る。そこは鏡の奥の世界、黄泉の国。

そのイメージは、オルフェウス神話そのものではありますが、まるでダンテの「神曲」の世界のようでもあり、また、イザナミ・イザナギの神話の世界のようでもあります。

こんなふうに、どこかに黄泉の国に通じる手段があるのかもしれないと、信じたいような気がします。そしてそこには、今は亡き家族や友人や恩師が居て、生前のときと同じように会ったり出来ればいいのになあと、願ってしまいます。

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4年目の3・11

今日は3月11日。4年前に東北に多大な被害をあたえた東日本大震災が起こった日です。

A51福島泰樹著『血と雨の歌』の中の歌の一首を思い出し、頭から離れない

わたなかを漂流しゆくたましいのかなしみふかく哭きわたるべし

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